ブーメラン

最近、私が仲の良い人に言ったセリフ。

 

・刺激が欲しかったんだよ

 

・世間の目とか社会通念とか気にしてるから、いつまでも不満なんだよ

 

・その不満解消のために、いつまでもフラフラしてるんだよ

 

・それ、ずっとやっていても、いつまでも満たされないからね

 

・何も行動しないで、ウダウダ言ってるだけ

何か小さいことでもいいから、勇気出してやってごらん。何か見えてくるもの変わるから

 

・本当は嫌だと思ってることとか、本音を、自分でなかったことにしちゃダメだよ

 

・周りがこうだから、じゃなくて逆だよ
周りがなんと言おうと、自分だけは自分の意見守ってあげなくちゃ

 

・やってみても、悪いようには絶対ならない
やってみたらどうなるか?影響を考えてごらんよ。どっちに転んでも、大丈夫なはずだよ

 

・昔は山手線しか知らなかったかもしれないけど、今は埼京線湘南新宿ラインも知ってる。乗り換えていいんだよ。

 

・一度選んだら、選び続けなきゃならないわけじゃないんだよ

 

・腹を割って話さなきゃ、結局何も生まれない

 

相手に言っているようで、

 

全部全部、

「私」が私に言ってるセリフ。

 

無意識だけど、

「私」は私に対して、こんなことを思っているんだね。

 

人のことばかり、目についてしまいますが、

人のことより、まず自分。

 

自分のこと考えないとね。

 

反省。

二番でいい人なんて本当はいない

例えばですよ。

 

浮気でも不倫でもいいんですけど、

 

本命(本妻)と、浮気相手(愛人)がいるとします。

 

一般的には、

本命(本妻)が「正しいモノ」

浮気相手(愛人)は「間違ってるモノ」

と認識しますよね?

 

「正しい愛」と「浮ついた恋心」みたいなイメージで、比較されます。

 

世の中、どんなつもりで浮気をしてるかなんて、千差万別なので

一括りにするのもナンセンスかと思いますが、

 

あくまで私の主観で思ったことを述べますね。

 

この、「比較」って、なんだか不自然じゃないかなー?

って思ったのです。

 

この世に、好きになっちゃいけない人なんて、いないじゃないですか。

 

結婚してたって、誰かを好きになることもあるでしょう。

恋人がいたって、別の人に惹かれることもあるでしょう。

 

(擁護してるのではないよ。そう言う時もあるよねって可能性の話。)

 

で、そこからどう行動するかは、さすがに制限があると思うの。っていうか、希望としては、あって欲しいの。

 

でも、感情は制限出来ないじゃない?

掘り下げれば、それすら自分で選択してるのだけど、意識としては、「図らずも」みたいな感覚。

 

でね、

どちらにしても「好き」って気持ちに変わりはないと思うのです。

 

(完全なる遊びです!性欲処理です!ってのはちょっと別のパターンなので置いといて。)

 

その「好き」を

自分で「いけないこと」って抑えたり、

優劣を付けるから

辛いのではないかなぁ?と思うのです。

 

世界中の人に叩かれようとも、

自分だけは自分の「好き」を肯定してもいいんじゃないかなぁと。

 

(何回も言うけど、オススメしてる訳ではないよ!)

 

まぁ、純粋に好きになってしまったのなら、ね。

 

遊びなら、

たかが遊びで自分のパートナーを傷つけるのは愚かしいと思います。

 

この辺の認識も、実は千差万別ですよね。

本気は嫌だけど、遊びなら許せる。って人もいるだろうし。

 

で、

 

その優劣を自分でつけると、

 

「どうせ」私は一番になれない

「所詮」私は浮気相手だから

私「なんて」選ばれない

 

って、自己肯定感をめっちゃくちゃ、めっちゃくちゃ、下げると思うのです。

 

そもそも、自己肯定感の高い人は浮気相手で甘んじたりしません!ってツッコミが来そうですが。

 

でもでも、そこなんですよ。

 

つまり、

誰も、浮気相手で甘んじたくないじゃないですか。

本気で愛人でいい人なんていないじゃないですか。

心の底では本命として愛されたいじゃないですか。

 

自分だけは自分の「好き」を肯定して、

自分だけは関係性に優劣を付けず、自分を卑下しない。

 

悪者になってあげる必要もないし、

相手のために影に隠れ、都合の良い様に立ち回る必要もないし、

奥様のために、自分はあくまで二番手だと引き下がる必要もないと思うのです。

 

そんな、

「物分かりのいい女」のフリ、

結局喰いものにされてるだけですよね。

 

本気で好きならば、

もっと泥臭くてもいいと思います。

 

(とはいえ自分が社会的に死なないようには賢くね。)

 

好きと真っ直ぐ伝えたければ、伝えたらいいし。

本命にして欲しいなら、伝えたらいいし。

会いたいなら、素直に会いたいと。もっといっしょに居て欲しいなら、素直にもっと一緒に居てと。

 

伝えたらいいと思います。

 

「でも、私ってどうせ二番手だし」

「家族の元に帰らないと…」

「彼を困らせたくない」

 

って、不幸な女を演じたり、

物分かりの良いフリしたりして、

本当は

「こんな風にあなたのためを思って、自分を犠牲にできるほど、あなたを愛してるの」

「そんな私をもっと愛して!」

ってことじゃないですか?

 

伝えたとて、叶うかどうかは別だけど、

というか、ほぼ叶わないことの方が多いでしょうけど、

それでいいんだと思います。

 

そうやって、

自己肯定感を下げず、

自ら土俵を降りたりせず、

 

あくまで私はストレートに好きでいるだけ!

私は私の感情を歪めないし、濁らせない!

 

といった態度でいると、

 

それでも煮え切らない相手や

それでも自分を都合良く扱う相手に

 

心から

「…あれ?」

って思えると思うのです。

 

「あれ?本気で好きとか言うけど、私の好きと違くない?」

 

「あれ?結局嘘まみれじゃね?」

 

「あれ?こいつ、まじクズじゃね?」

 

って、色々思うところが出てくると思います。

 

そうしたら、

自分を下げぬまま、

自分から去れるじゃないですか。

もう未練なく!傷付かず!

 

どーせ、

大好きな人が、

本命のところへ帰ったり、

本命と過ごしているのを想像したりで、

 

もーー充分に傷ついて、

自分をいじめて、

それなのに好きでいることを辞められない自分が嫌いになりそうで、

 

充分っすよ。

 

「あれ!これって、結局私の気持ち踏みにじられてるじゃん!!!」

 

って、自分の気持ちを純粋なまま持っていられる程に、鮮やかに気付くと思います。

 

結局、

 

本命と浮気相手を、あくまで同列で並べると、

浮気相手からしたって、二股じゃないですか。

 

あれ?意味わかります?笑

 

えっと、

 

本命が偉い。浮気相手は浮気相手。

じゃなくてですね。

 

本命から見たら、浮気相手は浮気相手だけど、

 

浮気相手から見たら、本命が浮気相手じゃないですか。

 

(浮気相手ではないんだけど…うぅ、日本語って難しい)

 

ようは、

彼が、「自分以外の誰かを好きでいる、悲しい状態」って点ではお互い様ですよってことね。

 

なのにですよ、

 

大概、

 

本命には、浮気相手のこと隠すのに、

浮気相手には、本命のこと隠さないじゃないですか。

 

(ん、単なる二股男だと、双方に隠してる方が多いか。奥様と愛人、にした方が良かったな…)

 

で、話を進めると、

 

それって、どっちを失くしたくないか?

どっちを傷つけない様にしてるのか?

どっちが大切なのか?

 

一目瞭然だと思うのです。

 

それでも、彼にどハマりしてる時って、

信じたくって、

私には何でも話してくれる、

なんて解釈の仕方しちゃったりするのですけどね。

 

ってことで、

 

自分を大切にしていると、

偽物に気付きやすくなるし、

そんな男に、自分の貴重な時間を心と身体を

費やす価値ないなって、

 

ナチュラルに思えるのではないですか。って話でした。以上。

 

新潟に住んでるってまじ?

なんかあれから色々ありまして、

今新潟に住んでいます 笑

 

いや、なんか3月の更新の時は、失恋に悩んでいたんですね。

 

そう、そうなんですよ。全然忘れてないですよ!

まぁどうでも良くはなってるけども!

 

あれからですね、

元カレと過ごした部屋を出て、都内で転居しました。

 

そしてすぐにですね、新潟転勤が決まったわけです。

(引っ越したばかりなのに辛ぁ!!)

 

結局あの家は3〜4ヶ月しか住まなかったかな。

結構気に入ってたんだけど。

 

新潟に来て5ヶ月。

 

恐れていた冬の到来です。

 

日照時間は短く、短くってゆーかほぼなくて。

雨、雪、雨、雨、曇り、雨

って感じです。

 

そりゃーー鬱になるわ!!

ってことでサプリメントとか飲んでますよ。

 

お家に出来るだけ観葉植物とかお花飾ってね!

お掃除して清潔にしてね!

よくやってますよ。よくやってると思いますよ。私は。

 

月2は最低東京に行くので、もはや「お前ほんとに新潟いんの?」って聞かれることも

しばしば。

いや、だって。新潟寒いし雨だし友達いないし。って感じです。

 

東京の友達とよく電話してます。LINE無料電話まじでありがとう。

 

にしても観葉植物の「できるだけ日当りのいい場所に」ってのが無理なの。日当りのいい場所ないの。日当りの問題じゃないの。日がないの!!!!!!

てことで、なんとなく元気がないパキラちゃん。ごめんね。でも絶対死なせないからね!

 

あらやだこんな時間。

もう寝ますよ!

気付いたら3月になってましたね!

 

2月一度も更新しなかったなんて、

本当「定期的に」が苦手なんだな〜とつくづく思いました。

 

なので、定期的になんて無茶な目標は辞めて、気分が乗った時に書く、を徹底します。

 

 

さて、前回の記事は1/30の更新でしたね。

 

その時は、まだ進展なしなんて書いてましたが、

翌日の1/31の早朝に、彼からLINEが来てましたよ。

 

お別れのLINE。

 

自分本位で独りよがりな内容でしたが、

でも、一番恐れていた、「私との2年間を無かったことにされる」事態だけは

避けられたと思いました。

 

とても心の準備をしていたので、

見た瞬間にどん底へ落ちる様なことはありませんでしたが、

やはりそれでも、首の皮一枚繋がってる様な状態ではなくなって、

ついに終わったんだなって、受け入れざるを得ない様な、なんとも言えぬ感情でした。

 

そして、その週末には不動産巡りをしまして。

2日目に次のお家も見つけました。

 

とんとん早く進みすぎて、人間部分の私が付いていけないくらいに、

宇宙に「卒業」に向けてどんどん環境を整えられていく感覚。

 

シーズン的にも卒業にぴったりですし、

身を任せてみると、面白い程に天体通りに事が起こります。

驚きと嬉しさと、そして少しばかりの怖さもあります。

 

人間って、恒常性があるから、「元に戻る」力がどうしても働きますよね。

私は結構それが強いタイプなので、

とりあえず仲直りしようとか、

とりあえず元に戻ろう、

そのあと考えよう、

みたいなことをよくやります。

 

安心ですし、一見ノーリスクに見えますが、

「変化しない」というリスクがあるんですよね。

 

変化するだとか、手放すだとかが苦手で、

私は学生の時から春が苦手なんですね。

 

あの、ソワソワした様な、何かが新しく始まる様な雰囲気。

 

いざ始まってしまえば、楽しめるのですが、

始まる前のあの「来るぞ来るぞ」感。

だから春といってもやっぱ、

1〜3月が苦手かな。

 

停滞から変化までの、あの準備期間ね。

 

すごく広い視野で見れば、今回の失恋も転居も、大きな大きな愛に包まれた卒業なんですよ。

だけど、人間部分の私は、達観し切れない部分もあるので、まだまだ苦しんだり迷ったり泣いたり。

 

でもそれでいいんだな〜と思います。

人間なんですし、揺れながらもがきながら。

それでも宇宙の大きな愛を、「そうなんだろうな〜」と感じつつ、受け取ったり、身を委ねたりしていけば良いのだろうと思います。

 

さて、やっぱり喉元過ぎればなんとやらで、

2月の頃の私の感情は、あの時しか感じられないので、

今思い出しながらブログ書くのとは

視点が違いますね 笑

 

やっぱ出来るだけ記していこう。

 

その時しか書けないものがありますもんね。

感情が先!引きずるのは自分の感情を無視するから

あれから約3週間

 

一向に事は進んでおらず、

未だ、未読スルーです。

 

2年も付き合った相手にやることか??!

 

とは、めちゃくちゃ思いますが、

 

精神状態は、めきめき復活中でして。

 

 

今までの、引きずり系女子の私からしたら、

早過ぎて早過ぎて、

後からどんでん返しが来ないか不安なくらい。

 

 

今のところ、この復活の早さは、

まず先に感情を出したからだと思っています。

 

思わず、

あー、私のここがダメだったから…と自分を責めたりだとか、

 

きっと彼は今頃あーしてこーして…と

憶測で勝手に傷ついてみたりだとか、

 

思考でなんとか、納得させようとしたりだとか。

 

そうして楽になるなら良いですし、

むしろ痛過ぎて、まずそうしてしまうのも

よく分かります。

てか、まずそうしないと、生きてけないくらい、

胸が痛くて苦しいですもんね。

 

でも、感情をそれでも出す。

 

もっともっと、シンプルに、

あーだこーだを削ぎ落として、

「さみしい」とか「これがいやー」とか

「つらいー」とか。

 

そーゆうのだけにして。

それだけをひたすら感じて浸って泣く。

わんわん泣く。

 

さみしいよぉぉぉー!

この間までこうだったのにぃー!!!

なんでーーー!!

訳わかんないよぉーー!

この間までここに居たのにー!

行かないでー!

うわーーーーーん!!

 

みたいな感じで。

 

コツはとにかく

「自分本意に!!!!」

 

大人ほど、

自分を納得させようとしたり、

変に中立に立ってみたり、

してしまいますもんね。

 

でも、

それだと「中の私」が納得しないです。

 

私の味方をするのは私だけ。

 

私の「さみしい!」とか「悲しい!」とかは、誰が感じてくれんのさ!

誰がこの感情を、ここに存在したことにしてくれんのさ!

 

って、思って、

勇気を出して浸る。

 

 

あのね、「感情的」とかって、

今の世の中、なんとなく「悪」じゃないですか。

 

冷静なもん勝ちとゆーかさ、

論理的であれ、みたいな。

 

そりゃそーゆう場面もありますよ。

そりゃね。

 

でもね、

でも。

それ、使い分けしないと、危険です。

 

生きるの辛くなります。

 

幸せにはならないです。

 

感じること、逃げてるだけだから。

 

 

私、感情を無視して抑えて生きてきたから、

分かったんですけど、

今回意識的に「感情を先に感じる」ってやってみてね、

 

すんごい怖いの!!!!

 

えいっっ!!

 

って、感情の海に飛び込む気持ちなの。

 

渦に飲まれるの。

 

勇気いるよーーー

 

だからね、

なにもいつも論理的で冷静なのが立派なんじゃなくて、

 

感情を感じきる方がよっぽど勇気のいることだし、

自分を信じてないと出来ないんだな〜と

思いました。

 

 

でね、感情を先に昇華したからこそ、

後に残らなくて、

こんなに立ち直りが早いのかなー?と

思っています。

 

変に納得させて、仕方なかったんだとかしても、

「私は平気ですよ」風にしても、

 

感情は残ってますもんね。

 

寂しかった、悲しかった、悔しかった気持ちは残ってる。

だからひきづる。

最悪、燻って恨みになったり。

 

一般的に、女性の方が失恋からの立ち直りが早くて、男性の方が引きずりやすいとか

言われてますが、

(私は脳みそ思考型の引きずり系だったので、男女差なんてあるか?と思っていましたが…)

 

感情をいかに、先に感じきったか?

 

ってのが分かれ道な気がしました。

ひらめいた

ちょっとすごいこと思いついたんで記録。

 

どん底で這うように生活して2週間。

 

「あぁ、痛いなぁ。辛いなぁ。
もう傷つくなんて嫌だなぁ。
誰も傷つかない世の中ならいいのに。(私も傷つかないから)

せめて1人でも傷付かない世の中にしたいなぁ」

って思って過ごしていました。

 

そんで、職場の人に優しくしてみたり、店で出会う人、エレベーター等、お先にどうぞ精神を持ってみたりとか、細かい活動して。


まぁ怒る気力もないけど。

 

そしたら今日ふと、


「今、私は傷付いてるけど、彼は傷付いてない。
宇宙レベルで考えたらその方がよくないか?」
と浮かんできました。

 

願った通り、「1人でも傷つく人が少ない世界」になってる!!!

 

それを、がめつい正義を振りかざして、
「ずるい!」ってやってた訳です。


「私が傷ついた分、お前も傷つかなきゃずるい!」って。

 

そしたらスッと、

少し落ち着いてきた。

 

と、取り急ぎメモ。

試練から数日後【足るを知る】

さて、

 

前回のブログ引き続き、

 早々に試練 - ayuhalloween’s blog

 

まだまだ事態は変わっておりません。

 

 

例えば最近険悪だったとか…

喧嘩したとか…

 

まったく!まっったく!

無かったんです。

 

 

 だからほんとまさに、

 

急に。

 

青天の霹靂。

 

 

気になってるのはタイミングで、

 

私がある夢を叶えた日に、

 

なんか音信不通になった様な…

 

 

きっと後からこういうのは意味が繋がるんでしょうけど。

 

で、

 

あれからもう泣いて泣いて…

痛くて、辛くて、

ひりつく様な毎日を過ごしてきましたが、

 

なんでしょう、

こういう時だからこそ、更に、

周りの有り難みに気付くものですね。

 

本当に本当に、小さなものでも、

会社で声掛けてくれることや、

少しお喋りして、ふっと笑えたことや、

はたまた、質問されたり、忙しかったりして、考えずにいられた時間さえ…

 

有り難くて、有り難くて。

 

「なんか元気ないですね」なんてゆう掛け声に思わず泣きそうになったり、

配られたおやつで、「私ここに居ていいんだ」なんて感じたり、

毎日LINEに付き合ってくれる友達や、

デートの予定だったのに、参加したいタイミングで来ていいからねと声かけてくれたり、

 

「ある」を見るっての、

まさに、まさに感じています。

 

 

今日の帰り道、いつも彼と歩いてた道を歩くのは辛いなぁと思っていたけれど、

 

毎日毎日、1人でも歩いていた道で。

 

私、この道あんまり好きじゃなくて。

つまんない道だな〜なんて思ってたんですよね。

でも、私が勝手に「彼がいない道」と毎日思っていたんですね。

 

「彼がいない毎日」=つまらない

 

「彼がいない道」=つまらない

 

「彼がいる」=私の通常

 

みたいになってたなって。

 

「ない」としてたのは私。

 

だったな〜。この道は、この空気は、ここを行き交う人々は、ずっとここに「あった」のね。

 

 

さて、今日はなんだか眠れそうなので、

そろそろ就寝。