二番でいい人なんて本当はいない

例えばですよ。

 

浮気でも不倫でもいいんですけど、

 

本命(本妻)と、浮気相手(愛人)がいるとします。

 

一般的には、

本命(本妻)が「正しいモノ」

浮気相手(愛人)は「間違ってるモノ」

と認識しますよね?

 

「正しい愛」と「浮ついた恋心」みたいなイメージで、比較されます。

 

世の中、どんなつもりで浮気をしてるかなんて、千差万別なので

一括りにするのもナンセンスかと思いますが、

 

あくまで私の主観で思ったことを述べますね。

 

この、「比較」って、なんだか不自然じゃないかなー?

って思ったのです。

 

この世に、好きになっちゃいけない人なんて、いないじゃないですか。

 

結婚してたって、誰かを好きになることもあるでしょう。

恋人がいたって、別の人に惹かれることもあるでしょう。

 

(擁護してるのではないよ。そう言う時もあるよねって可能性の話。)

 

で、そこからどう行動するかは、さすがに制限があると思うの。っていうか、希望としては、あって欲しいの。

 

でも、感情は制限出来ないじゃない?

掘り下げれば、それすら自分で選択してるのだけど、意識としては、「図らずも」みたいな感覚。

 

でね、

どちらにしても「好き」って気持ちに変わりはないと思うのです。

 

(完全なる遊びです!性欲処理です!ってのはちょっと別のパターンなので置いといて。)

 

その「好き」を

自分で「いけないこと」って抑えたり、

優劣を付けるから

辛いのではないかなぁ?と思うのです。

 

世界中の人に叩かれようとも、

自分だけは自分の「好き」を肯定してもいいんじゃないかなぁと。

 

(何回も言うけど、オススメしてる訳ではないよ!)

 

まぁ、純粋に好きになってしまったのなら、ね。

 

遊びなら、

たかが遊びで自分のパートナーを傷つけるのは愚かしいと思います。

 

この辺の認識も、実は千差万別ですよね。

本気は嫌だけど、遊びなら許せる。って人もいるだろうし。

 

で、

 

その優劣を自分でつけると、

 

「どうせ」私は一番になれない

「所詮」私は浮気相手だから

私「なんて」選ばれない

 

って、自己肯定感をめっちゃくちゃ、めっちゃくちゃ、下げると思うのです。

 

そもそも、自己肯定感の高い人は浮気相手で甘んじたりしません!ってツッコミが来そうですが。

 

でもでも、そこなんですよ。

 

つまり、

誰も、浮気相手で甘んじたくないじゃないですか。

本気で愛人でいい人なんていないじゃないですか。

心の底では本命として愛されたいじゃないですか。

 

自分だけは自分の「好き」を肯定して、

自分だけは関係性に優劣を付けず、自分を卑下しない。

 

悪者になってあげる必要もないし、

相手のために影に隠れ、都合の良い様に立ち回る必要もないし、

奥様のために、自分はあくまで二番手だと引き下がる必要もないと思うのです。

 

そんな、

「物分かりのいい女」のフリ、

結局喰いものにされてるだけですよね。

 

本気で好きならば、

もっと泥臭くてもいいと思います。

 

(とはいえ自分が社会的に死なないようには賢くね。)

 

好きと真っ直ぐ伝えたければ、伝えたらいいし。

本命にして欲しいなら、伝えたらいいし。

会いたいなら、素直に会いたいと。もっといっしょに居て欲しいなら、素直にもっと一緒に居てと。

 

伝えたらいいと思います。

 

「でも、私ってどうせ二番手だし」

「家族の元に帰らないと…」

「彼を困らせたくない」

 

って、不幸な女を演じたり、

物分かりの良いフリしたりして、

本当は

「こんな風にあなたのためを思って、自分を犠牲にできるほど、あなたを愛してるの」

「そんな私をもっと愛して!」

ってことじゃないですか?

 

伝えたとて、叶うかどうかは別だけど、

というか、ほぼ叶わないことの方が多いでしょうけど、

それでいいんだと思います。

 

そうやって、

自己肯定感を下げず、

自ら土俵を降りたりせず、

 

あくまで私はストレートに好きでいるだけ!

私は私の感情を歪めないし、濁らせない!

 

といった態度でいると、

 

それでも煮え切らない相手や

それでも自分を都合良く扱う相手に

 

心から

「…あれ?」

って思えると思うのです。

 

「あれ?本気で好きとか言うけど、私の好きと違くない?」

 

「あれ?結局嘘まみれじゃね?」

 

「あれ?こいつ、まじクズじゃね?」

 

って、色々思うところが出てくると思います。

 

そうしたら、

自分を下げぬまま、

自分から去れるじゃないですか。

もう未練なく!傷付かず!

 

どーせ、

大好きな人が、

本命のところへ帰ったり、

本命と過ごしているのを想像したりで、

 

もーー充分に傷ついて、

自分をいじめて、

それなのに好きでいることを辞められない自分が嫌いになりそうで、

 

充分っすよ。

 

「あれ!これって、結局私の気持ち踏みにじられてるじゃん!!!」

 

って、自分の気持ちを純粋なまま持っていられる程に、鮮やかに気付くと思います。

 

結局、

 

本命と浮気相手を、あくまで同列で並べると、

浮気相手からしたって、二股じゃないですか。

 

あれ?意味わかります?笑

 

えっと、

 

本命が偉い。浮気相手は浮気相手。

じゃなくてですね。

 

本命から見たら、浮気相手は浮気相手だけど、

 

浮気相手から見たら、本命が浮気相手じゃないですか。

 

(浮気相手ではないんだけど…うぅ、日本語って難しい)

 

ようは、

彼が、「自分以外の誰かを好きでいる、悲しい状態」って点ではお互い様ですよってことね。

 

なのにですよ、

 

大概、

 

本命には、浮気相手のこと隠すのに、

浮気相手には、本命のこと隠さないじゃないですか。

 

(ん、単なる二股男だと、双方に隠してる方が多いか。奥様と愛人、にした方が良かったな…)

 

で、話を進めると、

 

それって、どっちを失くしたくないか?

どっちを傷つけない様にしてるのか?

どっちが大切なのか?

 

一目瞭然だと思うのです。

 

それでも、彼にどハマりしてる時って、

信じたくって、

私には何でも話してくれる、

なんて解釈の仕方しちゃったりするのですけどね。

 

ってことで、

 

自分を大切にしていると、

偽物に気付きやすくなるし、

そんな男に、自分の貴重な時間を心と身体を

費やす価値ないなって、

 

ナチュラルに思えるのではないですか。って話でした。以上。