取捨選択がドライだなんてとんでもない

私が誰かにある提案をしたとしてですね。

 

小さなことでいいんですよ。

「今から会おうよ!」とか「今からラム肉食べに行こうよ!」

みたいなね。

 

その時にね、

「行きたいけど無理」みたいな言い方が気になる時があるんです。

 

常には気にならないですけど、引っかかる時がありまして。

それってどんな時かっていうと、

「それ、無理なんじゃなくて、自分で行かないって選択してるんでしょ?周りのせいにすんなよ」って感じるような時。

 

「行かない」「行きたくない」ってストレートに断ると角が立つから

遠回しに「行きたいけど状況が許さないんですよ〜」みたいなニュアンスで「無理」って言うことはもちろん有れど、

 

無理だよ〜できないよ〜

ばっかり言う人。皆さんの周りにもいらっしゃいませんか?

 

いい加減それを選択してるのは自分だって認めてよ!

って思ってしまうときがあるのです。

 

例えばですね。

「奥様のせい」

「旦那のせい」

「子供のせい」

みたいな感じで。

 

お金のせい、とか仕事のせい、とかも有りますけど

そんな生活を選んでるのもまた自分なんですけど、

それ以上に「自分以外の誰かのせい」っての、どうかと思いませんか?笑

 

無理矢理首輪付けて閉じ込められてるんか!!って。

 

なんてこと言ったら、子持ち勢に「物理的に無理なんだよ」ってお叱りを受けそうですけど 笑

 

まぁ、乱用する人。そればっかり言う人。と思って聞いてくださいね。

 

子供もそうなんだけど

 

特に奥さん・旦那、恋人、親のせいにするのはもうね、救いようがないと思ってる。

 

大人ぁ!!!!

 

ってなる。

 

 

本当に言ってみた結果、ダメだって超喧嘩になって、泣かれて、行ったら死んでやる!とか言われて、

あえなく、不参加を選択したの?

 

いや、たぶんほとんどの場合

言ってみてもないよね。勝手に「言ったら怒られそう」とか思って、交渉するまでもなく、諦めたよね。

そして行けないことを相手のせいにしたよね。

 

行けないんじゃない。

行かないんだよ!!!

 

そんで、行かない自分を疑えよ!

 

それでいいなら、

自分は友達と遊ぶより、奥さん(or旦那)、恋人、親の方を優先して生きてます。

って堂々としてろっての。

 

それが嫌なら。

なんか自分を生きてない感じするな〜と思うなら

言う前に諦めずに、交渉してみたら如何かなと思うのですよ。

 

(友達とご飯食べに行くことすら許してもらえないなんて

よほど自分の日頃の行いが悪いか

信用がないか

嫉妬心が強く執着心の強い依存関係になってしまっているか・・・)

 

疑って改めるか、それでいいって選択し直すのか。

見つめ直しが必要なポイントはたくさんありますよね。

 

もちろん私も、

そんな周りの人が気になっている反面、

自分も出来ているかなぁと振り返る日々です。

 

 

 

さて、私は昨年の暮れに

浮気相手と本命について書きましたが。

 

またそこに繋げますとね。

 

「無理だよ」ってたくさんたくさん

言われると思うんですよ。

 

勇気出して自分の要望を伝えたとしてもね。

 

あたかも「自分はしてあげたいけど、本命のせいで出来ないんだよ〜」って自分を悪者にしないがための

ずるい断り文句。

 

それを真に受けますとね、

「そっか、あなたは私の要望答えたいのに(やっぱ優しい人!)

本命のせいで叶えられないんだね!(本命死ねよ)」

 

となってしまってね。(ここまでストレートに思わなくてもね)

 

本命さえいなきゃ、私も優先してもらえるのになぁ。あーあ!

って。

 

でも、冷静に考えてみますと、

本命はきっと止めてないですし、知りもしないでしょうし、

「どうしたら叶えられるか?」すら考えずに断ってるのは、その目の前の人なんですよね。

 

本命との関係壊したくないから

本命を怒らせたくないから

自分のために、衝突を避け、

自分が可愛いから、まるで自分が悪くないかの様な言い方で、

 

そいつがあなたの願いを叶えないことを

選択してるんですよ。

 

って考えますとね、

本命は敵じゃない。

 

一応言っておきますと、

もちろんね、

毎回願いを叶えなきゃいけないのかって話ではないですよ。

願いを叶えてくれなきゃ、イコール大事にしてもらえてない

ってことではないのですよ。

 

自分の願いを叶えるのはまず自分っていうのは

大前提としてね。

 

ただ、

自分が辛いほどに

 

会いたいときに会えなかったり

行きたい所に行けなかったり

 

そんな状況が度重なるなら、

それすら一旦立ち止まって疑ってみて欲しいのですよ。

 

「好きだから」みたいなことを理由に、相手の言う事鵜呑みにしてないかって。

あれ、これってフェアか?って。

あれ、これ私大事にされてるって言えるか?って。

 

 

 

言えないんだよーーーーーーー!!!!!

 

 

 

てか

本命と別れずに

誠実に自分と向き合ってくれてない時点で

 

 

 

大切にされてる訳ないんよーーーーーー!!!

 

はい、原点。

 

 

肩書きなんてどうでもいい。

本当に大事なのは

お互い本当に愛し合ってるかどうか!

 

だとしたら、「付き合おう」っていう口約束や、「結婚」ていう紙上の契約なんて何の意味もない。

だって現に、奥様(本命)への愛なんて当に冷めていて、

燃える様に愛してるのは私なんだもの!!

 

って、思って

突っ走ってきたでしょう?

 

私も結構、こんな考え方は嫌いじゃないんですよ。

肩書きクソくらえ!社会通念なんて無視してやる!みたいなね。

本質とは、みたいなね。ロック。

 

 

でも、

とはいえ、我々は社会に生きてるんだもの。無視していいことと、無視しても意味ないこともある。

 

誰も、社会的に死にたくないものね。

いや、もちろん物理的にもね。

 

社会的に認められないなら、それって意味ある?

でも結局、堂々と生きられてないなら、それってそこまで価値ある?

ってゆー

山羊座的な考え方だってありますし、(山羊座的かどうか詳しく知らんけど笑)

持ち合わせていてもいい考え方だと思います。

 

 

これだけは言える。

 

私を大切にしない人に割く時間なんてない。

 

 

 

 

 

 

自分を都合良く扱う人間を心の中に入れる訳にはいかん!!  

 

 

 

 

 

 

 

 

クズの相手してる時間なんてない!!!

 

 

 

 

 

 

ここまでいければもうすぐですよ。

 

これまで自分をたくさん大事にしてきた賜物ですもの。

 

自己肯定感が上がってきたからこそ言える言葉ですよね。

 

 

「お願い私を選んで」

なんてすがるのは辞めて。

 

「いつか私を選んでくれる」

なんて不確実なものに執着するのは辞めて。

 

私を大事にしない人はいらない。

 

誠実な人しか周りにいらない。

 

 

それくらいの強い気持ちを持って

過ごして行きたいものですね。

 

 

それは、自分自身に誠実に向き合ってきたからこそ持つ願いだし

だからこそ叶う環境なのだと思います。

 

自分の好みではないこと、自分のやりたいことではないこと、そこをきちんと断るのだって、誠意。

 

 

だからこそ日々!これからも!淡々と!

この一見地味な、自分と向き合う作業を

継続していくのです。

 

こんな自分への期待と、未来への希望と、他者への優しさ。

 

情熱でしかない。